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居酒屋のマスターになりたい

 ちょっと前に、以前やってた居酒屋からヘルプを頼まれて入った。
 個人経営の小さい店なんで、マスターとママと洗い場のおばさんとバイト一人という面子でやっている。
 そのバイトの子が休みの日に、ちょうど大口の予約が入ったんで、オレに話が回ってきたというわけだ。

 その店は、チェーンの居酒屋よりはちょっとだけ高いけど、味は何を食ってもめちゃくちゃうまいし、マスターもテンパってるとき以外は話も巧く、辺鄙な場所にあるせいか常連が客の半分以上占めてて、たまに全然客が来ない日もあるけど評判のいいところだ。
 オレは旅に出る直前まで、約二年間そこでバイトしてた。
 オレが「いつか居酒屋のマスターになる!」と決めたのも、そこでバイトしたからだった。

 その前にやってたバイトや、高校の時の部活で大声を出すことには慣れていたので、バイトに入った当初はとにかく大声をあげていた。仕事が出来ないうちは、とにかく声だけでも威勢良くしなければ、というのが頭にあったからだ。
 忙しくても、そうでなくても、料理を運ぶときや下げ物をするときは狭い店内を走り回った。
 だんだん仕事も慣れてきて、常連さんに顔を覚えられてくると、会話をするようにもなった。
 たまーに酒を飲ませてくれる客もいた。
 「にーさん面白いなぁ」と笑ってくれる客もいた。
 「いい声してるな」と言ってくれる客もいた。
 「まだ料理来ねーのかよ!」と怒られたりもした。

 もちろん、嫌な客もいっぱいいる。
 部下の前で偉そうに呼びつける副社長とか、酔っ払って無茶するおっさんとか。
 環境も最高かと言われればそうでもない。
 店内に20人くらいいて、オレと一番年齢が近いのでも20歳は年上という状況は、話も合わなかったりでしんどい。
 まして若い女の子との出会いなんて望むべくもない。

 ママは仕事中に客から酒をもらったりもしょっちゅうだが、貰わなくても日本酒とかを勝手に注いで飲んでる。だからいつも酒臭い。  洗い場のおばさん(といってもおばあさんに近いが)は、客の見えないところで態度の悪い客の愚痴ばっかり言ってる。「まーはよ帰ってけ!」というのが口癖。
 マスターはテンパると刺身とかを叩きつけたり、ブチ切れすると物凄く怖いらしいが、基本的に陽気に客と話しながら料理する。

 何が一番悪いかって、まかないが非常に悪い。
 居酒屋のくせに、バイトのまかないは適当で、ほとんどが商品に出せなくなった素材の天ぷらやフライ系、干物だ。
 たまにレトルトカレーやスパゲッティなども出るが、油っこい物ばかり出されるよりはむしろその方がいい。
 最悪なのが麻婆豆腐で、1パック2〜3人前のやつが、まるまる一人分出る。
 どんぶり一杯の麻婆豆腐にご飯のみとかが月に一回くらい出ると、いくら好物でもさすがにイヤになる。
 今ではオレは麻婆豆腐を一口食っただけでお腹一杯胸一杯になってしまうほどだ。
 たまーにマスターが刺身の切れ端をくれるのが唯一の救い(でも年に1〜2回程度)だ。

 調理は全くやらせてもらえない。
 個人経営の居酒屋なんて、安さじゃチェーンに勝てないから、雰囲気と味で勝負するしかない。
 調理師免許すら無いバイトに料理をさせるはずがなかった。
 それが残念だったが、ホールの仕事はそれを上回る面白さだ。

 オレが面白いこと言って客が笑ってくれたら嬉しい。
 顔や名前を覚えてくれたら嬉しい。
 料理が美味いと言ってくれても嬉しい。
 笑いながら酒を飲んでる姿を見るだけでも嬉しい。

 居酒屋って何だろう、って思う。
 オレは単に飯を食って酒を飲むところじゃないと思う。
 なんていうか、仕事とか上下関係とか全部気にせず、個人としてくつろいで騒げるところじゃないか。
 バーは違う。
 勝手なイメージだが、バーは一人で入って誰にも干渉されず飲むこともできるし、バーテンと会話しに来ることもできる。カップルや友人と話すこともできる。けれども騒いではいけない。
 そして酔い潰れても許される気がする。居酒屋に一人で入って酔い潰れることは許されない。
 スナックも違う。
 スナックにはママやマスターやチーフがいて、会話を彼らとの会話を楽しみに来る。

 それらの店にはある上品さが見られるように思う。
 バーテンダーと客の間には、洒落た会話が似合う。
 スナックのママとの間には、きわどいジョークが似合う。
 けれども居酒屋のマスターとの間に上品さは必要ない。
 馬鹿な話は大いに馬鹿げてていいし、下品な話は下品に笑っても許される。
 居酒屋で気取ってみせたところで、居酒屋の客には変わりない(スマートな客は尊敬に値するが)
 居酒屋の空間とは、誰もが飾らずに自分を出すことを許される大らかな空間だと思う。
 客も店員も一体となって騒ぐ。  他の客がうるさいとか野暮な事は言わず、話しかけられたら笑って応える。

 それに近い雰囲気のあるあの店が好きだ。
 そして、いつかあのマスターを越える店を作ってやる!

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