Go West !


人生は一つの大きな旅であり、旅もまた小さな人生の一つだ
幾つもの国を見て、大勢の人々の生活を体験し
数多くの旅人と出会い、別れ、本当の友人に会い、本当の恋もした

深夜特急に憧れた男が遥か西を目指す
涙と笑いのアジア横断記!



中国 西安 1
〜旅人になる〜

 西安につく頃、僕の体はあちこち痛みを訴えていた。
 無理も無い、ベンチにクッションをつけたような座席で、窓枠に肘を掛けながら眠ったか起きてたか解らないような状態が何時間も続いたのだ。ふと我に返ると車内は凄惨な状況だった。三人がけのシートにはほとんど4人以上座っていたし、通路には座席や網棚から溢れた荷物と人が寝転がっている。子供はその通路でためらうことなく用を足し、その水溜りの中に食べかすや痰が浮いている。こんな状態が平然と起こっている、これが異文化というものなのか。
 列車を降りると、強く寒い内陸性の風が僕の体を吹きつけた。時刻は8時6分。昨日知り合った大学生の楊さんがタクシー乗り場まで案内してくれる。楊さんは僕を自分の大学寮まで案内してくれるようだ。
 楊さんと大学の友人達は、本当に親身に僕をもてなしてくれた。中国武術が見たかった僕にビデオを借りて見せてくれたり、学食でとった昼食は「お前は客人だから」と言って代金を受け取ろうとはしなかった。今まで冷たい対応が多くて居心地の悪さを感じ始めていた僕にとって、その優しさは中国という国、いや物事の全てを一つの角度からだけで見てはいけないということを思い知らされた。
 彼らの歓待を受けながら、ようやくこの地にいる友人と連絡が取れる。僕は楊さん達に厚く礼を言うと、彼らは笑って「また会おう!」と言ってくれた。

 数ヶ月ぶりに会った友人、テラは何も変わらずただ日本からやってきた僕を喜んで迎えてくれた。そのままタクシーで彼の留学している大学「西安交通大学」へと向かう。ここの留学生楼は一般にも開けているらしく、一泊80元(約900円)とゲストハウスよりも高価だったが、気持ちの良いベッドと空調のある個室に惹かれて一日だけ泊まることにした。
 チェックインを終えると、テラが西安を案内してくれた。ここ西安はシルクロードの入り口ということもあり、西方のイスラム教が根付いていて所々に清真(イスラム教)の文字が見える。中国の都市がまだ城塞だった頃の門をくぐりしばらく行くと、「大清真寺」というお寺があった。ここがこの街のイスラム教の中心であるらしい。周辺も、上海中心部の近代化した中国や、都心から離れた素朴な中国というイメージとはまた違った、オリエンタルな雰囲気が漂っている。小道に広がった露店にもイスラムカラーが濃く反映されていて、麻雀牌や毛沢東の肖像がなどと共に、彫り物の施されたナイフや方位磁石などが売られていた。
 昼食を適当なところでとると、今度は明日からの宿を探すことにした。一泊80元の宿でそんなに贅沢はしてられないし、何より中国語の話せる友人が一緒に探してくれれば心強い。バスで駅まで向かうと、駅前を重点的に周辺の宿を当たってみた。
 一軒目は三人ドミ48元、二軒目はかなり安かったが日本人の旅行者は泊められないとのことだった。中国は共産主義が今よりももっと強かった時代から引きずってきた文化が残っており、こうした「外国人お断り」を謳っている宿は多いようだ。もっとも、面倒な「外貨交換券」が無くなり、外国人が国内を自由に旅行できるようになっただけマシだろうが。
 そんなことを考えながら三軒目の「尚徳賓館」という宿に入った。値段は三人ドミで40元。交渉すると、三日で80元まで値下げしてくれた。念のため部屋まで案内してもらうが、室内も窓が無いことを除けばそれなりに清潔で、ベッドも気持ちよさそうな厚さだ。シャワー室もきちんとしている。これで当面の寝床には困らなくなった。
 方々歩き回ったお陰ですっかりくたびれた僕達は、バスで大学まで戻るとついついベッドで眠ってしまった。
 宿を変え、次の目的地や西安の見物をしていると数日が過ぎていった。一日10元の自転車を借りたり、あるときは徒歩で西安を横切ったり。公園で黙々と麻雀を打つ老人を見物したり、路上の絵描きの作業を眺めたり。歩道に延々と詩を書き綴っている物乞いもいれば、西安随一の繁華街にあるマクドナルドでソフトクリームを食べたりもした。テラにも度々会って、美味い飯屋を教えてもらったりしていた。ある清真料理の露店に行くと、そこは牛肉や羊肉を串焼きにしたものを売っていた。一本一本の量が少ないので、二人で100本は軽く平らげることができる。味も絶妙でビールがよく進んだ。また、服飾の問屋街にも連れて行ってもらい、壊れたサンダルの代わりとジーンズを購入した。朝晩は多少肌寒いとはいえ、昼間の陽気はすでに春を過ぎて汗ばむほどだった。
 そんな中で、テラの大学が一週間ほど休みになることを聞いた。中国にもゴールデンウィークがあるらしい。彼はその休みを使って更に西方、シルクロードを通って敦煌まで行く計画を留学生仲間と立てているらしい。その計画に僕も誘われることとなった。数日で出て行く予定だった西安の宿にも、次の更新予約を入れる。
 西安に長居をする旅行者はあまりいないのか、ドミトリーに入ってくる旅人はどんどん入れ替わって、僕と隣にいるカナダ人のブライアンがすでに古株となってしまっていた。彼はビールとジョークが好きで、夜になるといつもトランプをやっている面白い男だった。ある日、一つベッドが空いている状態で、受付が旅行者らしき女性を部屋に入れた。大体の旅人がそうであるように彼女もぐるっと部屋を一瞥し、値踏みをしてから外へ出て行った。新しい話し相手を逃したブライアンが笑って言う。
「きっとお前の顔を見て逃げ出したんだろうよ」
「違うよ、お前の吸ってる煙草が臭かったのさ」
 他にもフィリピンから来たルアミという旅人は、僕に会うなり社会主義がどうとか靖国参拝はどうとか難しい単語をまくしたててきた。内容も単語も難しかった(興味深い話ではあった)が、何より難解なのは彼のフィリピン訛りの英語だ。最終的には中国の人種差別問題まで話が流れていったが、もともと大して英語が出来るわけでもない僕が彼の話を理解したのは半分がいいところだろう。

 そうこうしているうちに、黄金週間がやってきた。



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