Go West !


人生は一つの大きな旅であり、旅もまた小さな人生の一つだ
幾つもの国を見て、大勢の人々の生活を体験し
数多くの旅人と出会い、別れ、本当の友人に会い、本当の恋もした

深夜特急に憧れた男が遥か西を目指す
涙と笑いのアジア横断記!



プロローグ 1
 〜旅立ちの時〜

 騙された。
 そう思ったのは、日本を出てからわずか4時間後のことだった。
 こんなはずじゃないぞ。
 しかし今さらもう遅い。海の上では逃げ場などどこにもない。

 神戸発上海行きの国際フェリー「新鑑真号」は、総トン数14543t、旅客定員345名。「ハイテクを駆使した最新鋭船“新鑑真”号は、快適で安全な船旅をお約束します」電話で確認したときも、対応はこうだった。「当フェリーは大型客船ですので揺れは少なく、船酔いに弱いお客様でも安心です!」
 しかし自称「嵐を呼ぶ男」の名が示す通り、本日の天候は快調に大雨・強風・高波の三段攻撃。どっぷり船酔いで早くも「飛行機にしておけば・・・」などと後悔がチラつく。
 四年越しの念願だった世界一周一人旅は、期待と不安と吐き気の中で幕を開けた。

Two Sirius

 2002年4月16日午前7時48分。
 65リットルのミレーのザックと僕を乗せた新幹線は、ゆっくりと名古屋駅を出発する。
 世界一周、期間は一年。手元にあるのは上海行きの片道切符のみ。この日は僕の22歳の誕生日でもあった。
 前日に友人たちへ送ったメールのタイトルは「22才の別れ」。冗談のように送ったが、バックパッキング旅行というものを何も知らない僕にとっては、果たして生きて帰ってこれるのかさえ分からないほどの不安があった。

 神戸駅に着くと、地下鉄とポートライナーを乗り継いでフェリーターミナルに向かった。半年前に下見で来たときはすでに閉港してたのだが、改めて訪れた神戸港はやはり閑散としていて、別れの後の寂しさを一層掻き立てている。しかし、アナウンスが流れて乗船手続きを済ませ、上海行きのチケットを手にすると、いよいよ未知なる世界への期待が湧き上がってきた。この一枚の紙切れが、これから始まる壮大(であろう)な旅の入り口となるのだ。そう思うと、心なしかチケットの重みが少し増した。

XinGanJin

 やがて11時になると、出国審査が始まる。
 3列に並んだラインに入ると、辺りから聞きなれない言葉が飛び交ってきた。中国語である。一見してはよく分からなかったが、どうやらここにいる人たちの半数以上が中国人らしい。審査官や乗組員もほとんど中国人だったが、当然のことながら日本語が話せるのでスムーズに進んだ。
 長い通路を抜けると、遂に「新鑑真号」が姿を現した。船というものは、公園の手漕ぎボートからせいぜい三河湾の連絡船程度しか乗ったことがない僕の目には、この「豪華客船」は何とも大きく雄大で、頼りげに映った。
 「いらっしゃいませ」流暢な日本語を操る乗組員に僕は意気揚々と「ニイハオ!」とにこやかに笑って言った。

 船室は、2等洋室の8人用ドミトリーだった。
 ドミトリーとは、大部屋にいくつかのベッドがあり、そのうちの一つを借りるというスタイルの部屋で、旅中での僕の泊まる安宿(ゲストハウス)はほとんどこの形式だった。何故かというと、安いからである。
 ザックを二段ベッドの上に置いて一息つくと、すぐにお呼びがかかった。
 「新鑑真号」では、船内で中国ビザの発行を行っている。その手続きだろう。必要書類に記入しておけば、上海到着時にパスポートにビザを添付して受け取ることができるという。

Good-bye Japan !

 手続きが終わると、微妙な浮遊感を感じた。出向らしい。
 あわただしくデッキへと飛び出すと、船はすでに陸を離れていた。
 見送りらしい人が何人かこちらに向かって手を振っている。甲板にも、それを受けて手を振り返す人がいた。ちぎれたテープが風になびいている。
 「いよいよだ・・・」
 僕は両手を手すりに預けて、去り行く陸地を眺めた。
 そして身体ごと振り返り、広大な海原を見る。
 別れの寂しさも、先行きの不安も、全て無くなっていた。
 いま胸にあるのは、はちきれんばかりの期待のみ。
 現実感はなかった。
 自分がひどく客観的に見え、まるで映画のプロローグを観ているような不思議な高揚感だけが全身を駆け巡っている。
 この映画は、どんなストーリーなのか。
 果たしてハッピーエンドになるのか、それとも悲しい結末が待っているのか。
 それは誰にも分からなかったが、少なくとも数時間先のことならばこの今にも振り出しそうな曇天と強風が物語っていたことに気付くべきだった。


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