人生は一つの大きな旅であり、旅もまた小さな人生の一つだ
幾つもの国を見て、大勢の人々の生活を体験し
数多くの旅人と出会い、別れ、本当の友人に会い、本当の恋もした
深夜特急に憧れた男が遥か西を目指す
涙と笑いのアジア横断記!
中国 上海 2
〜世界的商業都市上海〜
長距離バス乗り場で李さんと別れた僕は、ようやく自分が空腹であるということに気付いた。時計を見ると、すでに14時を回っている。そこでバス乗り場を地図に記し、一旦離れて食堂を探すことにした。
そもそも長距離バス乗り場を最初に教えてもらったのには理由があった。日本でお世話になった先輩が、今海外出張で上海に住んでいるのだ。日本を出る前に連絡したら快く泊めて下さるそうで、なにより初のアジアの宿としては実に心強かった。マサキさんというその先輩の会社は上海市ではあるのだが、嘉定区というここからバスで一時間程離れた場所にあるのだ。マサキさんの仕事は夕方にならないと終わらないし、まだまともに街歩きをしていない僕の心は好奇心ではやっていた。
何はともかく、まずは昼食だ。
現在地は成都南路というところだ。ここからすぐ北に行ったところに先ほど通った「南京路」という大通りがある。この通りが上海の東西を走る目抜き通りだということは船の中で聞いていた。さっきは地図を探していてあまりじっくりと辺りを見ていなかったので、そこから向かうことにした。
その途中、ふといい匂いを嗅ぎつけた。唐揚げのような香ばしい匂い。すぐ近くの小店から出ていた。日本のたこ焼き屋のような大きさの店があり、店頭で大きな中華なべに取っ手の付いた網を動かして何かを揚げているようだ。近寄ってみてみるとチヂミのような、ニラの混じったハンペン状の物を作っている。
「多少銭(ドゥオシャオチェン)?」
大学の授業と船の中でこれだけは覚えなければならないと思った単語を口にすると、何とか理解してくれたようだ。
「イークァイ」
イークァイ?
「元」は中国語で「ユェン」と呼ぶはずだ。イーが一であることは分かったが、クァイは「元」と一緒と考えていいのだろうか。
解らないような顔で頭を捻っていると、店主が壁に貼り付けてあった値段表を指差してくれた。
「一個一元」
やはり「クァイ」は「元」と考えていいようだ。一元は日本円で換算すると約15円だ。僕はお金を払ってニラハンペンを受け取るとその場で頬張った。ちょっと油っこかったが、空っぽだった胃袋に食べ物が入ったこと自体が味を良くさせていた。
「好吃(ハオチー)!」
おいしい! というと店主も満足げに微笑んだ。
多少空腹も収まったので、再び南京路を歩き始めた。とにかく人が多い。老若男女、年齢も様々である。顔立ちは日本人とあまり変わらないが、服装は日本で言う10年ほど前に流行したような、やや古い感じのするものが多いように思える。そこが日本人と中国人を見分けるポイントだった。観光客らしき外国人も多く、ツアーバッジを付けて大勢で歩いているアジア人や、カップルで歩く年老いた白人なども見掛ける。待ち行く人は歩行者天国の両側に並んだ百貨店やデパートを出入りし、マクドナルドやケンタッキーフライドチキンで食事をしている。上海が国際的商業都市であることを実感した。僕はデパートで買う余裕も余分な金銭も持っていないし、ちらりと覗いただけで日本と何も変わらない印象の百貨店に入る必要もなかった。
大きなザックを背負ったまま、大通りを西へ東へ歩く。
一時間ほどうろうろしていると、大きな公園へ出た。人民公園というらしい。物珍しいのでつい何も考えず歩き回っていたが、やはり20kgの荷物は体力を大幅に奪っていく。歩きつかれた僕は公園のベンチに腰を下ろして休憩することにした。通りの向こうには「新世界城」という名の派手なデパートがそそり立っている。すぐ隣では、ペプシのキャンペーン中なのかロゴ入りジャンバーを羽織った男が何故かテニスラケットを振っていた。
僕はベンチに座りながら、行き交う人々を眺めていた。
16時を過ぎ、そろそろ長距離バス乗り場に移動した。嘉定区行きのバスはすでに来ていて、何人かが乗り込んで出発を待っている。運転手にマサキさんの会社の住所を見せた。英語は通じなかったが、僕の行きたいところは解ってくれたようだ。値段は7元、105円。一時間も走ることを考えれば安いように感じた。
バスは走り出すとひたすら北上していく。どんどんと景色が都会を離れて田舎になった。日本と違い、道はどこまでも平坦だ。そして、市街から離れるにつれて建物がぼろくなっていく。むき出しの崩れかけたコンクリートに、ガラスの無い窓枠。舗装されていない道路にはゴミが散乱し、ぼろぼろのシャツを着た垢黒い子供達が走り回っている。上海の華やかな街並みを見た後だったので、少なからず動揺してしまった。上海といえど、一歩街を出たらこれほどの格差があるのか……
これがアジアか。
日本では恐らく見ることのできない規模でのスラム。
しかしこれもまた、アジアという広大な大陸のごく一片でしかなかった。
僕は固いシートに座り、がたがたと軋む窓ガラスに顔を付けながら、貧しい生活というものを目の当たりにして再び旅という現実を認識していた。
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