人生は一つの大きな旅であり、旅もまた小さな人生の一つだ
幾つもの国を見て、大勢の人々の生活を体験し
数多くの旅人と出会い、別れ、本当の友人に会い、本当の恋もした
深夜特急に憧れた男が遥か西を目指す
涙と笑いのアジア横断記!
中国 上海 4
〜上海的上流休暇〜
「ヴィトンあるよー! プラダ、ロレックス、オメガ、全部ニセモノだよーっ!」
「ニイサン、時計買わないか?」
「ヤスイー、ヤスイー!」
売り手と客の往来に揉みくちゃにされながら歩いていく。時々腕をガッとつかまれて中国語で何かまくしたてられるが、「不要不要!(プーヤオ=いらない)」と手を振って何とかかわす。ここは上海の露店街だった。
朝になってまだ足の痛みは弱く続いていたが、体調の方はすっかりと快復したので、会社が休みになったマサキさんに上海を案内してもらった。准海中路という所に出ると、そこには大きな露天の密集している区域があった。日本のフリーマーケットのような感じで、小雨が降っている中でもかなりの人数がごった返している。売ってるものも様々で、日用雑貨のようなものから、偽物のブランド品、お土産、何だか解らない宗教用具まであり、どの店も客と店員で賑わっていた。ちょっとでも気になって足を止めると、すかさず店員が早口でまくし立てる。日本語や英語を操る店員も多く、ここはいわゆる観光名所と言えるようだ。
面白いのは、ブランド品を売っている店の店員自ら「ニセモノ」を連呼しているところだ。ある意味良心的といえる。試しに帽子を買おうとすると、早速値段を言ってきた。
「40元(約600円)ね」
別段高いとも思わなかったが、試しに半額にしてくれ、と言ってみた。
「高くないよ! でも仕方ないから30元にオマケするよ」
面白いことに、すぐに25%引きになった。
「それじゃいらない」
としばらくゴネていると、25元まで下がったので満足して購入した。なるほど、こうやって値段交渉するんだな。
いくつか品物を買ったが、大体6割くらいの値段で落ち着くことがわかった。
その後、オススメの定食屋に行って牛肉鉄板焼きを食べた。昼間からビールまでご馳走になってすっかり満足してから上海のショッピング街、南京路を歩く。夜は日本の焼肉店で食事をした。日本を出て日が浅かったので普通に美味しいとしか思わなかったが、数ヵ月後に振り返ってみると最高の贅沢だったように感じる。夜はバーに連れて行ってもらい、一杯で100元もするジャックダニエルを飲んだ。
日本では有りがちな一日だが、中国の経済状況から考えれば上流階級的なものだろう。この生活も悪くないが、旅をしている自分には勿体無い贅沢であり、この生活は僕の求めている生活ではないことも解っていた。
しかし、もう一日だけマサキさんに付き合ってもらってあの有名な「豫園」に行ってきた。豫園とは、旧上海城とも呼ばれ、その昔倭寇の襲撃を防ぐために作られた城壁の中心であり、移民の多かった時代でも中国人だけが住んでいる一帯の名残で、現在商業的に発展して高層ビルの立ち並ぶ上海に置いても歴史を感じさせる古い建物が密集している。今は完全に観光地として土産物屋が軒を連ねているが、一軒一軒の建物の造りは古風で、荘厳な装飾品は溜息をつくほどだ。そうかと思えば、店の前では玩具の鳥が空を飛びまわっているし、地面ではGIジョーの人形がほふく前進しながらカタカタと機銃を鳴らしていたり、中国ゴマを実演販売しているところもある。それらは見ているだけで面白く、まるで上海の玩具箱のようなものだった。
中華料理で有名なものに「小龍包(シャオロンパオ)」がある。その中でも中国で一番人気の南翔小龍包があるというので、早速その店に向かってみた。時間はすでに夕方近くなっていたが、店の前には長蛇の列が続いていて、30分待ってようやく中に入ることができた。店内はセイロの熱気で蒸し暑く、ウェイトレスの小姐(シャオジェ)がひっきりなしに皿を運んでいる。注文を済ますと、まず黒酢と刻み生姜が小皿に載って出てきた。やがて、蒸かした中華まんのいい匂いと共に目の前にセイロが置かれる。蓋を開けると小さな小龍包が12個も入っていた。
それまでに小龍包というものを食べたことがなかったが、これは相当美味しい。中に餃子の具のようなものが入っているのだが、中華まんと違うのはそれにスープまで入っているところだ。知らずにガブリと噛み付くと舌を火傷してしまうが、この肉汁の溶け込んだスープが、黒酢と生姜にマッチして絶妙な味にしていた。それでも、二人で24個は少々量が多かったのだが。
豫園を出てもう一つ寄らなければならない場所があった。それは、僕の次の宿である。上海に飽きたわけではないが、いつまでもマサキさんの家にお世話になるつもりは無い。いきなり次の街に向かうのも良かったが、その前にまず普通の旅人が泊まる宿に泊まってみたかったのだ。僕は行きのフェリーで中村さんに貰った名刺を頼りにその宿へ向かった。
「船長賓館Captain Hostel」というその宿は、まだ開店して半年程度らしく、想像していたよりもずっと綺麗だった。レセプションの受付嬢も流暢な英語を話すので安心できる。早速翌日の宿泊予約をすると、マサキさんと最後の食事をして嘉定区へと戻った。
翌朝、マサキさんと一緒に出社して会社で朝食をご馳走になる。最後まで厚い歓待を受けたことにお礼を言ってから、船長賓館を目指した。この宿は名前の通り船をモチーフにしており、エレベーター内には海の壁紙、壁には舵が掛けられており、部屋の窓は丸窓がはめられているといった感じだ。なによりまだ汚れていない白い壁が清潔感を持たせている。これで一泊50元(約750円)だ。
勿論、部屋の形式は鑑真号と同じくドミトリーにした。安いのと、同部屋に幾人も同じような旅人がいるというのが魅力である。僕が入った部屋は6人用で、日本人やドイツ人、フランス系ヴェトナム人など様々な国の旅人がいた。彼らの滞在目的は様々で、ビジネスで来ている人もいれば僕のように旅をしている人もいる。話しかけようと思ったが、僕にはまだやらなければならないことがあった。
レセプションに行って、バス乗り場を教えてもらう。火車駅へと向かうのだ。火車とは、中国語で電車のことである。この5日間で上海を充分に堪能できたとは言えないが、一箇所にそれほど長く日にちを費やすことは出来ない。まだまだ先は遥かに長いのだ。
次に向かう街はすでに決まっている。西安という都市だ。そこには大学で同期の友人が今も留学しているのだ。久しぶりに会って話をしたいというのもあったが、彼に会い、中国の、海外の身の置き方というのを是非とも尋ねたかった。
火車駅に向かうバスの中、僕の気持ちはすでに新しい街へと進んでいた。