Go West !


人生は一つの大きな旅であり、旅もまた小さな人生の一つだ
幾つもの国を見て、大勢の人々の生活を体験し
数多くの旅人と出会い、別れ、本当の友人に会い、本当の恋もした

深夜特急に憧れた男が遥か西を目指す
涙と笑いのアジア横断記!



中国 上海 5
〜中国式切符争奪戦〜

 駅から伸びる人の列に僕は圧倒された。
 ここは上海火車駅、中国全土を網羅する鉄道の一端である。巨大なターミナルの入り口にはすでに人の列がいくつも出来ていて、それらはすべて建物の外まで伸びていた。
 中国の列車の座席は四種類ある。それぞれが硬座・軟座・硬臥・軟臥であり、硬軟はシートの硬さ、座臥とは要するに座席か寝台かということである。国土も広く敷線技術も日本ほど良くない中国では、目的地に向かうのに何十時間もかかることが普通にある。しかしどんな遠い路線でも一番安い硬座チケットが存在しているのだ。つまりそのチケットを買うということは、何十時間も横になることなく座席に座り続けなければならないわけである。
 チケットを買う窓口はいくつもあり、一応それぞれがどの種類のチケットを購入できるか決まっているようだった。しかし、実際はどの窓口でも全種類のチケットを買うことができる。チケットが発行されるコンピュータはどれも同じだからである。これにより暇な窓口が出来ないので効率がいいのか、それとも悪いのか。
 僕は当然硬座の窓口へと並んだ。次の街「西安」へはおよそ17時間列車に揺られていなければならないことは事前の調査で知っていたが、お金の節約をしなければヨーロッパまで辿り着く前に金欠になってしまうので仕方が無い。実際、硬座と硬臥では値段が5倍くらい違うのだ。

 じりじりと芋虫のようなゆっくりとした速度で列が進み、ようやく窓口が見えてくる。その窓口がまた熾烈だった。列を作って次の人の順番が来ているのに、横から割り込んできたような人が中の券売員に向かって何かがなりたてている。それがいなくなり、当の順番の人がチケットを受け取り清算している間に、もう後ろの男が行き先を言って金を渡そうとする。すると先ほどの男が戻ってきてまたもや何かを叫んでいる。しびれを切らした列の人間が、「もうお前はいいだろう」的なことを言って人を押しのけて窓口に寄りかかる。こんな状態が常に続いているから、窓口はどこも大混雑しているのである。
 ようやく僕の番が来ると、無愛想な券売員が「どちらまで?」と聞いた。僕は用意していた「チケットの買い方」の中国語を言って、「シーアン、シーアン」と行き先を強調した。しかし僕が外国人だと分かると、彼女は面倒くさそうな溜息をついて横に向かって指をさした。
「外国人は専用の窓口に行って頂戴」
 なんと、外国人専用窓口というものがあったのである。しかしこちらは一般の列に並んではいるが、自分の番が来ている。そしてヘタクソなりにも中国語で行き先を告げているのだ。メモ用紙に行き先と等級まで漢字で書いて見せている。
 だが券売員の態度は「専用の窓口へ行け」の一点張りだった。更に視線をあげて「次の人どうぞ」と順番を促すのである。後ろに並んでいたおばさんは困っている僕を容赦なく押しのけて窓口に食らい付いた。

 外国人専用とはうたっているものの、予想通り中国人で埋め尽くされたその窓口で切符を買い終える頃には僕の体力は限界になっていた。中国では電車の切符を買うというのはそれだけで一仕事であるらしい。宿に戻るとそのままベッドに倒れこんでいつの間にか寝てしまっていた。
 19時頃目が覚めると、腹が減っていたので夕食をとろうと廊下に出る。そこでばったりと知人に出くわした。
「やぁ、来てくれたんだね」
 廊下のソファには、フェリーでここの宿を教えてくれた中村さんが座っていた。知人に会えた嬉しさに、僕等は揃って高級料理である「上海蟹」を食べに出かけた。一食10元もかからない上海で、この蟹は小さくても80元もする。しかし食べてみたが話に聞くような舌鼓を打つ料理ではなかった。味も泥臭くて身も痩せてほとんど食べるところがない。後々知ったが、上海蟹の食べごろは秋から冬ということらしい。今は全くの正反対な季節だった。
 その代わりに青島ビールで心地よくなった僕等は、宿に戻りロビーで色々と話した。途中で中村さんが知り合った、同じ宿の韓国人も交えて、旅の話からビジネスの話、株やバイクの話と、話題に欠くことなく夜更けまで語り続けた。その中である一人が言った。
「もしネパールに行くなら、ぜひトレッキングをするといい。あそこはエベレストのベースキャンプまで行けるぞ」
 トレッキングか、それも面白そうだ。機会があったら是非行ってみようと思った。

 遅くまで起きていたせいで、翌日目が覚めたのは昼近かった。ロビーに出ると昨日の韓国人が来て「一緒に昼食に行こう」と誘われた。集まってみると中村さんも含めて昨夜の面子に加え、さらに韓国人が数人来て総勢10名の大昼食会となった。中華料理は一品一品が一人では食べきれない量が多いので、大勢で食べるのに適している。英語と日本語と韓国語の入り混じったその食事は、旅立ちの日に相応しい明るく楽しいものになった。
 宿を引き払って再び上海駅へ向かう。入り口で荷物検査があったが順調に列車に乗ることはできた。
 しかしここでまたあの大混雑である。列車の中は、全席指定とは思えないほど人と荷物で溢れ返っていた。何とか人ごみを掻き分けて自分の席に辿り着くが、そこには何故か見知らぬオヤジが平然と座っている。僕はどいてくれるように声を掛けたが、発音が悪いのか、選んだ言葉が間違っているのか、それとも最初っから聞く耳を持っていないのか全く相手にされない。しかたなく乗務員のカウンターに行き事情を話すと、しばらくして席を作ってくれた。
 15時過ぎ、いよいよ列車が動き出した。僕は窓から過ぎ去って行く上海の景色に別れを告げる。マサキさんには相当お世話になってしまったが、旅の始まりとしてはいい街だった。次の街、西安はシルクロードの入り口であり、今も古い史跡が残る都市。新しい場所へ進んでいくことに胸が躍った。
 硬座は三人掛けのシートが向かい合って配置されている。僕はしばらく持ってきた本を読んでいたのだが、やがて周りの視線がこちらに向いていることに気付いた。外国人が珍しいのか、それとも硬座に座って旅する外国人が珍しいのか。僕が笑いかけると回りの人達も喜んで話しかけてきた。
 向かいの席にいる男は楊さんという名前で、老け顔ではあったが大学生らしい。その隣にいるのも友人で、西安の大学に通っているという。僕の行き先も西安だというと一層喜んで、煙草やビールを奢ってくれた。
 店にいる中国人は無愛想な人が多いように感じたが、こういう時は非常に親切にしてくれる。夜になって腹が減ると豆腐のおかずやソーセージなどをくれて、ビールで乾杯しながら拙い中国語と筆談で会話した。眠くなると窓際の席に替わってくれ、お陰で肘をついた楽な姿勢になることが出来た。思えば中国に来てようやく現地の人と打ち解けたような気がする。僕等は眠りに付くまで飲み、食べ、話し、笑いあった。
 翌朝目が覚める頃には西安の地が見えてくるだろう。



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