route 1

列車に揺られ
突風にさらされ
たどり着いた北の海に
何を見るのか
ハプニングだらけの
ノンフィクション青春旅日記
『あの頃のような友達は
もう二度とできない』

第一章 乗車 〜大曽根─名古屋─東京〜

 1998年3月24日、22時10分──僕らの旅の全てはここから始まった。
 ハラが家のチャイムを押す。事前に数カットの撮影があるため、定刻よりも早めの集合だ。僕はコートを羽織って大きなボストンバッグを肩から提げると、会談を降りて外へ出る。待っていたハラと共に、自転車に乗って森下駅へと向かった。
 森下駅の駐車場で一シーンの撮影の後、一路大曽根駅へと移動する。22時25分、まだもう一人の旅の連れであるバブとの待ち合わせまでに5分もある。ハラの意向で先日とったシーンの撮りなおしをすることとなった。高架下の車道に沿った歩道、短いトンネルのような場所でハラが簡単なシーンを演じる。途中多くの車両が行き交い多少恥ずかしかったが、僅か数分の作業だった。
 待ち合わせ場所、みどりの窓口に着くと、すでにバブが立っていた。5分の遅刻を詫びて、早速「名古屋駅」までの切符を買う。ついでに窓口で、今回の旅の主戦力となる「青春18きっぷ」を2セット購入した。5枚綴りなので、3人で3日間JRが乗り放題となる。これが1セット約1万2000円。5で割ると一日の交通費がたったの2400円という破格なので、お金のない若者はこぞってこの切符を買い求め、ある者は未だ見ぬ土地への期待を胸に、またある者は傷ついた心を癒すために、故郷を遠く離れた場所へと向かうのだ。そんなところからこの名前「青春18きっぷ」が付けられたのだろう。
 改札に入って長い通路を抜けると、最初のホームに立つ。間もなく列車はやって来た。酔っ払いが点々と座るだけの人気のない車両に乗り込み、ビデオカメラでその様子を記録する。名古屋駅まではあっという間であった。
 11番ホームに降り立つと、すぐに階段を下った。名古屋駅などはすでに見慣れた場所、特別感慨に耽るような思いも無かった。目的の列車「ムーンライトながら」の乗車ホームを探して駅の構内をうろうろと歩き回る。
「ながら、って3番ホームなんだ」
 まるで僕等の心を読んだかのようなタイミングで、どこかの女性グループが大声を上げた。そちらを見やると、どうやら彼女らは壁に付いている電光掲示板を見て言ったらしい。僕らはそれに従って早速3番ホームへと向かった。
 出発前の光景を撮るため、少し離れた位置に荷物を置いた。貨物列車が幾度も通り過ぎる。
「ここがいい」、ハラが目ざとく禁煙と書かれたプレートを見つける。彼の反抗心がくすぐられたらしい。バブにビデオを回してもらい、その場で煙草に火を点けた。途中から僕も加わり、二人でプレートを囲みながらキャスターの煙を楽しんだ。僕もハラも別に煙草が病み付きになっているわけではなかったが、こういう時になると何故か吸ってみたい気になるらしかった。
 23時30分を過ぎた頃、ついに「ムーンライトながら」の到着を告げるアナウンスが流れた。ほどなく、轟音を響かせて四つ目のライトが近づいてくる。乗り込むシーンの段取りを話したあと、僕らは電車に乗車した。踊り場でも撮影があったのだが、すぐに乗客で騒がしくなったので中断して座席に避難することにした。少し見ると踊り場に立っている人は結構たくさんいた。「ムーンライトながら」は、大垣から熱海までは全席指定である。熱海から東京までは、一部のみ指定であとは自由席になるわけだが。立っている人たちは皆、指定席券が変えなかったのだろうか。車掌に指摘されたら直ちに下車しなければならなくなるというのに。そんなことを考えながら、僕らはシートに座り直した。懐かしい感触だ。ちょうど一年前にも全く同じ日に、僕とハラはこの電車に乗っていた。あれから一年。メンバーは変わったが、あの時と同じ気持ちで今再び座席に座っている。そう、これから果てしないたびに出かけるという期待と決意に満ちた気持ちだ。
 僕ら三人はそれぞれ自分の思うままに、これから続く長い乗車時間を潰していく。

Moonlight NAGARA

 ひどく喉が渇く。
 ここ数日どうも喉の調子が悪いというのに、飲み物を持ってこなかったのは失敗だった。しかし、走り続ける列車の中ではどうすることも出来ない。仕方なく我慢して、窓の外を流れつづける夜の風景を眺めながら、かつてない距離の旅の行方を案じて大きく息を吐いた。
 思えば、始まりは唐突だった。かねてから春休みの計画に頭を捻っていたのだが、ハラの「津軽に行こう」この一言でかような旅となったわけだ。何故津軽なのか、という疑問も湧かないわけではなかったが、目的も内容も突拍子もないのはいつものこと。僕自身にとっても未知の土地である青森へ行くとなれば、異論など一つも出るはずもない。
 四年も前の話になるが、いつものメンバーであるシリウスことケン、サイキックことハラ、それにバーンと海人といういつものメンバーが、クリスマス会の企画として自作映画を撮ることにした。その時に創立したのが、全員の名字の頭文字を取った「KYOS MOVIE」である。僕等はことあるごとに集まり、馬鹿な企画を考え、ともに笑って過ごしてきた。環境の急変により疎遠になりがちな高校にそれぞれ入っても、この友情の輪は途切れることはなかった。
 しかしそんな「KYOS MOVIE」のメンバーも、大学となればそうはいかない。全員が名古屋に進学ないし就職するとは限らない。全国各地に散ってしまえば、友情は続いても頻繁に会うことなど出来ないだろう。そして、その前に大きな関門「受験」があるため、僕等の大きな企画としては、恐らくこれが最後となるはずだ。出来ればメンバー全員で行きたかった。しかしそんなに都合よく四人の日程が揃うわけではなく、結局この旅を企画した僕とハラ、それに加えてバブが特別参加することとなった。バブは、KYOSメンバーではないが、小中学校の友人で僕等との交流も深く、KYOSが作った映画の大事な視聴者でもあった。
 この旅をきっかけに、暫らく中断していた映画撮影の話が再び持ち上がった。ハラが用意した脚本を基に、これまでの作風とは打って変わった完全なるドキュメンタリー映画となる予定だ。それぞれ思うところがあって共に旅に出た二人が、本州の最北端である「大間崎」に行き、何かを見つけるというのが大まかなあらすじである。制作スタイルも変わって監督も付くことになり、これは脚本を書いたハラが担当する。本格的な撮影になるため、事前の打ち合わせが何度も行われた。二人の目の奥に、すでに完成された映像が浮かび上がる。その魅力に取り憑かれたかのように、綿密に推敲を繰り返しながら打ち合わせは進んでいった。

「ペンを貸してくれ」
 その声に、僕の回想は遮られた。目を上げると、前の座席のハラがこちらに身体を向けて手を差し出している。  僕は持ってきたペンケースからボールペンを取り出すと、彼はそれを受け取って再び座席に着いて熱心に何かを書き出した。そういえば、旅先で友人に手紙を出す、などと以前言っていたのを思い出す。しかし便箋と封筒に、切手まで用意しておきながら「ペンが無い」とは、いかにも彼らしいというか。コンビニに行ったらペンくらい買えよ、と注意するが、ペンは鞄の中に入っている、とやり返された。出すのが面倒だというわけか。ますますハラらしいその答えに、もはや嘆息しか出なかった。
 そうこうしているうちに時刻は1時を回り、列車が止まった。開いたドアの外からアナウンスが「浜松駅」に到着したことを告げる。先ほど、深夜になったので車内のアナウンスはこれで終わる、と流れたが、開いたドアの外から嫌でも入ってくるホームのアナウンスがこれだけうるさければ、静寂を保つのに何の意味もないのではないかと感じる。何となく不条理になりながら、網棚からリュックを下ろしていつものビデオカメラを取り出した。夜も更けて人気が無くなったところで車内の撮影開始というわけだ。浜松を出発したあと、頃合いを見計らって僕等は例の踊り場へと向かった。
 しかし、考えが甘かった。そこから洗面所が近いため、人通りが多いのは相変わらずだったのだ。それでも仕方なく強行していると、高校生らしき三人組が通りかかった。その時こちらを見てにやっ、と笑ったような気がして、僕等三人は多少羞恥心を感じて気まずそうに笑い合った。
 さらにしばらくすると、車掌が奥からやって来て、踊り場のすぐ手前の席で立ち止まって乗客と何やら話を始めた。気にならないはずがなかったが、仕事なので仕方がないし、こちらの方がどちらかというと邪魔をしているのだから、と少し萎縮しながら黙々と撮影は続けられた。
 座席に戻ると、あとは終点の東京までフリーだ。ハラは誰に差し出すのか知らない手紙を書き綴っている。バブは目的地のガイドブックをぱらぱらと捲っていた。僕はハラの書いた台本の最終チェックをすることにした。
 完全オリジナルの脚本は以前何度か手掛けようとしたが、今まではどれも最後まで続かなかった。これは映画制作にも言えることで、メンバーの意気込みの浮き沈みがよく現れている。最初は威勢良く気合充分で撮影に臨むが、日が経つに連れて段々と意気消沈していき、最後は竜頭蛇尾的にいつの間にか適当になり、中断したまま消えてしまっていた。
 だが、このシナリオは見事に完結していた。欲を言えばきりが無いが、初めてにしては上出来過ぎるほど巧くまとまっていて、正直言って少し感動してしまった。これなら、旅が無事終了したときに撮影も完了し、達成感がより大きくなるはずである。早くも深い満足感を覚えながら、シナリオに書かれたノートを置いた。
 再び列車が止まり、構内アナウンスが「静岡」と告げる。時刻は2時。どうやら仮眠を取っておいたほうがいいようだ。僕はシートに深くもたれ掛かると、これから起こり得る数々の出来事を想像しながら、ゆっくりと目を閉じた。

 眠ったのか眠っていないのかよく分からないまま、一時間程が過ぎた。車内の掲示板を見ると「沼津」と書かれてあり、列車は止まっていた。前の座席ではハラが、いつの間にか隣に座っている女性と親しげに談話している。バブも起きたようだ。僕は喉の渇きに耐えられなくなってきて、ふと外を見ると未だ列車は停車したままだった。どうやらここで暫らく停車し続けるつもりらしい。
 そこで、一つ冒険してみることにした。旅に危険は付きもの、とはいえ別に命の危険を冒すわけではない。ただ少し離れたホームの自販機までジュースを買いに行くだけのことである。しかし、万が一列車が発車してしまったらそれはそれで大ごとである。僕は扉から自販機までの距離を目測し、意を決して小走りで駆け寄った。財布から硬貨を取り出し、投入口に入れる。ボタンに赤いランプが点き、一瞬迷ったうちに清涼飲料水を押した。ガタンと機体が揺れて青い缶が騒々しく落ちる。これなら大丈夫、十分発車に間に合う。そう思ってのんびりと缶を手にした刹那──
 ピリリリリッ、ピリリリリッ!
 まさかのようなタイミングでけたたましくサイレンが鳴った。
 やばい。とにかく直感的にそう思った。取り出し口から缶ごと手を引っこ抜き、いちばん近い入り口に駆け込む。
 間に合った、と内心で焦りながらもまずそう思った。しかし、その後いくら経っても扉は閉まる気配が無い。その時になってようやく気づいた。先のサイレンはこの列車の発車には全く関係が無かったのだ。これでは一人焦って列車に駆け込んだ自分が馬鹿みたいだ。
 でも、それでよかった、とも思う。旅に出れば普段出来ない冒険をしたくなるものだ。それが多少のリスクを伴うとしても。もしかしたら、さっきのサイレンは僕にその機会を与えてくれるために、神様が鳴らしてくれたのかもしれない。原因不明のその音を、僕はそう思うことにした。
 席に着いて、早速ジュースを飲み干す。砂漠の喉にオアシスが湧き出た感じだ。とにかく冷たくて気持ちが良かった。前の座席では依然としてハラと女性の会話が続いている。
「オレは一人で座って、隣の人と話をする。それが旅の醍醐味だ」
 再びハラの出発前の言葉が思い出される。そういえば、彼はこの旅に向けていくつかの目標を立ててきた。そして今、それを次々と実行していっている。それに対し自分はどうか。いつも通り無計画な旅を、ただ無心に行っているだけに過ぎないのではないか。  考え方の違い、と言い切ってしまえばそれで終わりだった。しかし。
「これでいいのか……?」
 心の中にひと塊の重い不安が現れ、焦燥感のようなものを掻き立て始めた。これでいいのか。僕はこの旅について、もう一度よく考え直そうと思った。


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